生きていると、全く予期しないようなことでも、起きるときには起きるものです。仮にある程度予期していたとしても、望まないことが起きるとダメージになります。
今回の大震災もそうですね。三陸海岸沖で大きな地震が来るというのは、歴史上分かっていたことですし、地震学者もある確率では予想していたことです。
一人ひとりの人生には本当にいろいろな事が起きてきます。本人にとっては望むものであっても、まったく望まないような辛いことであっても、それは起きてきます。
いったいなぜ、起きることというのは無情なのでしょうか。それは、きっと私たち人間レベルで考えられる望ましいことを超越しているなにものかが筋書きを書いているからだと思います。
ペットにはなぜ毎日お父さんが会社に仕事をしに出かけるのか分からないはずですね。みんなでいつも一緒に楽しく過ごせばいいのにと思うかもしれません。
それをペットに説明しようとしても、伝わるはずもありません。それと同じように、この世界のプロセスを作っている張本人にしてみたら、それを我々人間ごときに説明しようにもそれができないのではないかと思います。
ペットはずっとご主人様と一緒にいて、可愛がってもらいたいのですが、なぜだかそれは叶わぬ夢なのです。
私たちにしても同じことです。嬉しいこと、楽しいことばかりが起きて、悲しいことや辛いこと、苦しいことなど必要ないのにと思うものです。
でもこの世界で起きることを決めているのは我々ではありません。それは我々の思いを遥かに超えているところからやってくるのです。
人間の自分たちにできることは、そうしたことをすべて受け入れることです。何が起きようが、根本的なところでそれを受容することです。
そうすることによってのみ、心の平安を保ち続けることができるのだろうと思います。それこそが、本当に幸せなのではないかと思います。