真の自己としての気づき

私たちは自分の希望が叶えば必ず幸せな人生になると信じています。問題が解決してくれれば、幸福になれると思っています。

たとえば、隣家の人の音がうるさくて夜眠れないので、早く引っ越して行ってくれればいいのにとか、原発を廃止したら安全な国になれるのにといったことです。

そうしたことが実現したら、快適な人生にもなるし、平和で安全な暮らしが待っていると思うのは当たり前のことかもしれません。

そして、そうなるようにと、最大限努力をし、隣人と向き合って必要なことを伝えたり、原発反対運動に参加したりするかもしれません。

それはとても大切なことですね。手をこまねいて、誰かが何かしてくれるのを待っていたり、あきらめてしまうよりは、積極的に自分でできる範囲で行動することは大切なことです。

その上でのことなのですが、そうしたことがすべて叶って以前よりも快適で安全な暮らしができるようになったとしても、それはそれですぐに慣れてきてしまうのです。

そして、そのことは本当によかったと思っても、また違う問題が起きてくることになります。そしてまたそれを何とか解決しようという、繰り返しの人生になってしまいます。

心が満たされている状態とは、どんな環境でもいついかなるときにでもなれるし、今なれないものが将来そうなるということでは決してないということです。

何度もこのブログでもお話ししているように、問題の解決はその問題と同じレベルのところには存在しないということです。

真の問題の解決とは、それが問題だと信じているその思いの外に意識を向けることなのです。つまり、それを問題だとは思わない心の状態になることが、唯一の真の解決だということです。

今この瞬間に満たされていないと感じる理由は外側にはないし、満たされていると感じるとしたらその理由も外側にあるのではなく、内にあるということです。

そのためには、自分とは一体誰なのかということに真に気づくことです。広大なこの宇宙、この世界の中にポツンと存在してる小さな人間なのか。

それとも、その広大な宇宙を包含する透明で無限の器なのか、小さければ何かが足りないと感じるでしょうし、すべてだと分かれば足りないものはないと分かります。

本当の自分とは、この世界を抱きかかえながら、ここで起きている無数の事柄を丸ごと受容している気づきだということを思い出せばいいのです。