生死を見据える

このブログを読んで下さっている方々の多くは私よりも年齢が若いと思うので、日本の最後の戦争である第二次世界大戦のことについて、学校で勉強したことを除いては、それほど身近に感じている人は少ないと思います。

1954年(昭和29年)生まれの私でさえ、親などから戦争のことについて聞いてもリアルな感覚というものを持ったことはありませんでした。

終戦が1945年だということは知ってはいたのですが、その年から数えてたった9年後に自分が生まれたんだなと改めて思い返してみると、戦争を身近に感じないで来てしまったことが、逆に変なのではないかと思ったのです。

今までそんなことは一度も考えたこともなくて、親たちのする戦争の話にはまったく興味もないし、戦争映画などにも関心を持ったことはありませんでした。

自分と戦争とは縁もゆかりもないという感覚でずっと生きてきたんです。それはみなさんと同じだと思います。

子供のころ、毎年8月15日の終戦記念日になると、戦争のことを忘れないようにというメッセージをテレビや何かで見聞きはしていましたが、何となく遠い話しのような感じがしていました。

ところが、9年というのは今になるとものすごく短い間でしかないという感覚になっているからなのか、自分は終戦後すぐに生まれたのだという不思議な思いがやってきています。

とはいうものの、歴史が苦手な自分ですから、戦争のことについてはほとんど知識がなくて、終戦の時に広島と長崎に原爆を落とされたということくらいしか知りませんでした。

それがひょんなことから、その年にあった二つの激烈な戦いについて知るようになったのですが、それは硫黄島での戦いと沖縄での戦いです。

日本が敗戦を認めることになった、その少し前にその二つの場所で本当に悲惨な戦いにまつわる出来事があったことを知りました。

どちらも映画化されているので、ご存知かもしれません。一つは、「硫黄島からの手紙」で、もう一つは「ひめゆりの塔」です。

勿論どちらも究極まで追い詰められた人間の生死に関する出来事ですから、普段の自分の生活とはかけ離れているわけです。

明日死ぬかもしれないと思って生きている人は少ないこの日本の現状ですが、でも最近は原発事故などもあって、それほどかけ離れた話しでもないという思いが出てきました。

生きることと死ぬことのどちらもきちっと逃げずに見据えて生きていくということが、とても大切なことなのだろうと思うのです。