国としての自立心

昨日、少しだけ戦争に関連したことを書きましたが、それについてもう少し追加したいことがあります。日本はすでに65年間というもの、戦争をせずに平和な日々が続いています。

ということは、65歳以下の人はみな、戦争を知らないわけで、だから日本人は平和ボケしているのではないかとよく言われます。

しかし、世界の中にはもっと長い間一度も戦争をしないできた国もあります。たとえば、スウェーデンなどはそうですね。

ところが、あの国は決して平和ボケなどしていません。というのも、いざとなったら国民の全員が避難できるようなシェルターがちゃんと作られているからです。

それを維持管理するのには相当なお金がかかっているはずですが、それにも関わらず国民の意思として税金をそうした防衛に使うことに同意しているわけです。

なぜそのような違いがあるのかというと、日本は敗戦後自分たちの危機管理をアメリカに任せてしまったからなのだと思います。

つまり、国民自ら自分たちを危険から守ろうとするのではなくて、アメリカの傘下に入ることで大丈夫だろうという安直な考えでずっと時が流れてしまったということです。

これは言ってみれば、いい悪いは別として人間にしてみれば依存体質になってしまったということです。アメリカが作った日本の憲法には、「国の交戦権はこれを認めない」とあります。

人が幼いころの依存状態から成長して次第に自立への道を歩むように、日本も自立への道を歩む必要があるのかもしれません。

私の超個人的な考えなのですが、その自立の必要性に気づくために、目に見えない敵を作り出したのかもしれません。つまり、それが放射能被曝です。

これからは、国民の一人ひとりが自分の累積被曝量をある程度知った上で、どの程度の線量の土地に暮らしていけるのか、どの程度汚染された食物を食べてもいいのか、自分で判断していく時代に入りつつあると思うのです。

これは悲しいことですが、日本人の危機管理を中心とした自立心を育てるために、必要なこととして起こったことなのではないかと感じています。

勿論、自立は最終目的地ではありません。その先には、自分を委ねるという最もすばらしい境地が待っています。他のどの国の人たちよりも我々日本人にはそれができるように感じていますが、それは身勝手な偏った見方なのでしょうか。