自分の正しさ

自分と意見や主張の違う人を受け入れることは、なかなか難しいことですね。それは、自分が感じていることや思っていることが正しいはずだという思い込みがあるからです。

つまり、自分の正しさというものを軸として、他人の言動を判断してしまうために、自分の「正しさ」と違うものは「正しくない」からこそ受け入れられないということになるのです。

「正しさ」というのは、常に「正しくない」ということと対比して論じられることであって、単独では「正しさ」というものが存在することはできないのです。

例えば、人との約束を守るということを考えてみると、約束を守らないという状況が想定できるからこそ、守ることは正しくて、守らないことは正しくないということになるのです。

もしも、約束を守らないということが不可能であるとなったら、約束を守ることが「正しい」とは言えなくなるはずです。

目の前の人に向かって、あなたは人間であるから「正しい」とは言わないのは、元々人間でしかあり得ないからです。もしも、他の動物に変わることが可能であるなら、人間である方が正しいと言う人が出てきてもいいわけです。

話しを元に戻すと、自分と違う意見を受け入れがたいのは、自分の正しさを大切だと思っているからだということが分かりました。

だとすると、もしも自分の正しさというものに執着がなければ、異なる意見や主張に対しても、それを受け入れることができるようになるということです。

このことは、生きるうえでとても大切なことです。自分と違う考えや感じ方、思いや信念などをどうも受け入れ難いと感じるときには、自分の正しさによって相手を裁いているということに気づくことです。

そして、執着してしまっている自分の正しさの価値とは一体何なのだろうということをしっかり見つめて見るといいと思います。