手段と目的を一つにする

手段と目的が分離しないように生きること、そうお伝えすると、多くのクライアントさんは、最初に「えっ?」という反応をされるのです。

それは、私たちの毎日の生活のほとんどにおいて、手段と目的が明確に分かれているからなのです。それ以外をほとんど忘れてしまっているからなのではないかと思うのです。

朝起きるのは、会社や学校へ行くため、食事をするのは、栄養補給を適切にするため、仕事をするのは生計を立てるため、夜寝るのは翌日の活力を養うため。

こうして、何かをすることは、それに続く未来の何かを達成するためになっているのです。そうやって、今やっていることが意識せずとも、未来の何かの目的(目標)のための手段と化すのです。

それが当り前過ぎるので、手段と目的が一つになるようにと言われても、ピンとこないということなのでしょうね。無理もないことだと思います。

けれども、たとえば、あなたに好きな人がいて、その人とデートをするとして、そのデートの目的は?と聞かれたら何と答えるでしょうか?

きっとあなたは、デートをするのはデートをすること自体が目的です、と答えるはずです。それは、好きな人と一緒にいる時間をただ楽しみたいからですね。

もしも、相手の人となりをもっとよく知るためにデートをする、と答えたとしたら、そのときにはすでにデートが相手を知るための手段と化したことになるのです。

この違いは明白ですね。あることをするのに、その結果として何かを期待してしまえば、あっという間に手段と目的が分離してしまうことになるということです。

結局、手段と目的が一つであるためには、そのことを喜んだり楽しんだり、単純にそれ自体をしたいからするということ以外にはないのです。

もしも、瞑想する目的が光明を得ることだとしたら、瞑想が手段と化したことになるのです。昔からの賢者の言葉には、「瞑想のための瞑想」というのがあるのですが、それこそが手段と目的が一つであるということです。

瞑想をただ楽しむという姿勢を忘れないようにしたいと思うのです。

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