自覚があろうがなかろうが、私たちの心の奥には不安、あるいは恐怖が潜んでいるのです。その不安の真の理由とは、一体なんだと思いますか?
それは、自分という存在の中心らしきものが見当たらないからなのです。いやいや、そんなことはない、人物としての自分の軸がしっかりとある、と思っている人もいるでしょうね。
けれども、それはそのように思い込んでいるということです。固く固く信じ込んでしまっているために、それは事実なのだとしているわけです。
この程度の誤魔化しは、ちょっと瞑想するだけでウソだとばれてしまうはずです。人物としての自分という中心がどこを捜しても見つけられないからです。
そして瞑想などしなくても、自分自身のことなので、いくら思い込みが強いとはいえ、やはり心のどこかでは気が付いてしまっているのです。
自分と言う存在の中心がないことを。それは勿論不安にならざるを得ないでしょうね。なぜなら、自分の存在が曖昧なのですから。
エゴは自分こそが存在の中心だと豪語するのですが、訴えれば訴えるほど怪しさが増してしまうのです。そしていずれは、誰もがそんなものは最初からなかったのだと理解することになるのです。
でも心配には及びません。あなたのエゴが落ちて中心が無くなってしまったと恐くなるのと同時くらいに、新しい本当の中心が見つかるからです。
見つかるというよりも、それ自体が自分そのものだったと気づくことになるのです。人物としての自分はその中心から隔てられた円周に過ぎなかったのです。
その円の中心こそが、あなたの本質であり、この宇宙の中心でもあるということに気づくのです。