幸不幸と異なるもの

多くの人が自分の人生を、幸せなものにしたいと望んでいますね。今すでに幸せな状態にいる人は、より幸せになりたいと思うものです。

どうなれば幸せになれるかと言えば、勿論望んでいることが実現すれば間違いなく幸せになれると考えているわけです。

けれども、本当のところどんな欲求が叶ったとしても、その時点での幸福感はそれほど長くは続かないものなのです。それはなぜでしょうか?

実は、幸福感というものは不幸と抱き合わせでしか感じることができないものだからです。幸福というものは、言ってみれば不幸の一部でしかないということです。

不幸のどこか一部に、部分的にそれとの対比としての幸福があるのです。不幸の海に浮かんでいる島のようなものこそが、海との対比によって幸福と感じられるものなのです。

だから、幸福感は決して持続しないのです。その状態が続くうちには、必ずそれは何とも感じないものとなってしまうからです。

私自身も、そのことをはっきりと体験しました。サラリーマン時代の自分が今の自分のことを想像したら、それは夢のような生活だと狂喜するはずです。

それなのに、今この瞬間だけを見ていると、そこにはいわゆる幸福感というものを感じることができないのです。正確に言えば、幸福でも不幸でもどちらでもないということです。

今の生活が当り前になってしまったからですね。そして実は、幸不幸とは全く異なるものが毎日を占めている感じがしています。それは、きっと自分以外の誰にも伝わらないのだろうと思うのです。

きっとこれがある種の至福感だと思うのです。これはとりたてて大騒ぎするような代物でもないし、大きな感動や興奮を伴うものでもありません。

ただこうして在るという、そのことの中における微妙な味わいなのですね。

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