敏感な体質で生まれた子供は、何かと否定的な言葉で揶揄されることが多いものです。特に、それが男の子の場合にはひどくなる傾向があります。
たとえば、泣き虫だとか、弱虫、痛がり、怖がり、意気地なしなど、家族の中でも末っ子だったりすると、そうした蔑みの言葉は更に増すのです。
こうした表現をされるのには、それなりの理由があるわけですが、それは決して本人が弱いからではなく、繊細だからなのです。
弱さと繊細さは往々にして一緒くたにされてしまいがちですね。繊細さとは、脆さのようにも見えてしまうので、どうしても弱い者として烙印を押されてしまうのです。
そうなると、当の本人は元々幼くて非力であり、大人や目上の兄弟からすれば無力なわけですから、周りからのそうした否定的な、あるいはバカにしたような態度にやられてしまうのです。
そして、きっと自分は弱虫でダメな情けない奴なんだと信じ込んでしまうのです。更に、繊細な子供は他人の気持ちを敏感にキャッチする能力が高いので、相手の心の状態をいつも気にすることになるのです。
そのために、どうしても「ノー」が言いづらいという状況が起きてくるのです。相手の期待に応えてあげて、嫌な気持ちにさせたくないという思いから、服従の「イエス」が起きてくるのです。
本人としては、それでなくても自分は弱い奴なんだと思い込んでいるところに、相手にはっきりと言いたいことを言えない自分に対して、更なるダメ出しをするようになってしまうのです。
成長して、自分を客観的に見ることができるようになれば、理性では自分は別にダメではないはず、ということに気づくようにはなるのですが、幼い頃の自己否定は厳然と残ったままなのです。
そして、大人の自己肯定感と子供の頃の自己否定感が共存し、ほとんどの場合に自己否定感が圧勝することになるのです。
だから本人は、自分はダメじゃないという証明をするための人生を生きるようになってしまうのです。その生き方は明らかに不毛ですね。
なぜなら、本当は自分はダメではないからです。そして、頑張って頑張ってどれほどの成果を上げることができたとしても、かつての自己否定感は消えることがありません。
だから、癒しが必要となるのです。癒しのプロセスによって、間違った過去の自分への思い込みを小さくすることで、生き方が自然と変化するはずです。
もしも思い当たるようなことがあれば、自分で癒しを進めて行くか、セラピストの力を借りることをお勧めします。