小学一年生のときのことです。近所の友達と自宅で遊んでいたときに、急に気分が悪くなって、どうしようもなくてトイレに行こうとしている途中の廊下で、吐いてしまったことがありました。
ちょうどそのときに、母親は留守だったのでその友達が彼の親に言いに行ってくれて、後始末などをしてくれたのです。その後、親が帰って来るまでのことは忘れてしまったのですが、一つ覚えていることがあるのです。
それは、その頃母親が留守にすることが多くて、心のどこかで寂しい想いをしていたのだろうということです。勿論それを口に出したことはありませんでしたが。
親が帰ってきた後、行きつけの医者のところに行くと、虫垂炎(そのころは盲腸と呼んでいました)と診断され、その日のうちに手術ということになったのです。
その夜遅く、少し大きめの病院へと父親のクルマで連れて行かれたのです。クルマの中から、窓の外に路面電車(昭和の匂いがしますね)の線路が鈍く光っていたのをよく覚えています。
内心寂しかった自分は、一週間の入院生活を通して、ずっと母親と一緒にいることができたので、結果希望が叶ったわけなのですが、病室ではそれほど満足していませんでした。
その逆に、ベッドに寝たままの自分は母親に対して、そばに寄るなとか、音を立てるなとか、意味不明のことを叫んでいたのを覚えています。
今思うと、その不満は心配の目でじっと見られることの苦しみを訴えていたのではないかという気がするのです。普段言えなかった鬱憤をその時に爆発させていたとも言えますね。
虫垂炎になったのは、明らかに問題行動だと言えます。それによって、日頃密かに感じていた不満を訴えようとしたのでしょうが、それが仇となって、見られることの苦痛を味わうことになったのです。
そしてなかなかしぶといと言わざるを得ないのですが、いまだに誰かに見られることが苦手なのです。相手からの好意の視線でもダメなのです。
その視線の力に、あたかも自分の自由が奪われてしまうという感覚がいつまでも残っているのです。最近それを強く感じているので、自分の中でしっかりその居心地の悪さ、恐怖を見てみようと思っています。