「野心」ではなく「遊び心」で生きる

日々闘い続けている人たちが沢山います。ご本人もそのことは重々承知してはいるのですが、それ以外にどうすればいいのかが分からずにいるのです。

闘いの原動力となっているのが、「野心」です。でもこれはなるべく肯定的に表現すればということです。ある程度の「野心」がなければ、人間は成長できないなどと分かったようなことを言う人もいるかもしれません。

けれども、「野心」の原動力となるのは恐怖なのです。したがって、この社会の常識としてのいい意味での「野心」などというものは、それこそ幻想に違いありません。

恐怖が原動力であるもので生きて、満ち足りた人生を送るなどいうことがあるはずないからです。「野心」にはどんな愛も含まれてはいません。

その恐怖が一体どこからやってくるのかと言うと、それは自分の存在価値に気づいていない状態のマインドからやってくるのです。その多くは恐怖というよりも、不安と呼んだ方が近いかもしれません。

自分が自分のままに生きていていいかどうかが、正直しっかりと分かっていない状態、それこそがこの不安の正体なのです。だからこそ、何とかして不安を安心にしたいと願うわけです。

そこから「野心」が生まれてくることを想像するのは、それほど難しいことではないはずです。あなたのマインドの中には、どの程度の「野心」があるでしょうか?

あなたが今日を生きる目的が、何等かの「野心」を具現化するためだとするなら、それは勿論闘い続けなければならないはずです。闘ってしまえば、人生に負けがやってきます。

つまり、決して満ち足りた人生を生きることができなくなるということですね。生きる原動力を「野心」の代わりに、「遊び」にしてしまうことです。

「野心」は必ずやあなたの人生を蝕むことになります。代わりに、無垢な子どものように「遊び心」を持って生きることができれば、間違いなく人生の勝者になるのです。

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