我慢強さが役立つとき

世の中には、我慢強い人と我慢強くない人がいますね。私の場合は後者であり、変な表現ですが自分で自分の事を我慢弱いと称しています。

セラピストの立場からすると、どちらのタイプの人間がより生きやすいかと言えば、間違いなく後者だと思うのです。なにしろ、歯を食いしばって頑張ることをしない、あるいはできないのですから。

それだけ、心身にかかる負荷が小さくなるわけですから、ダメージを負うことも少ないということになるのです。人間、適度の負荷や適度の緊張はいいことですが、過度は禁物なのです。

ただし、適当なところで我慢できずに止めてしまうという生き方ですから、一芸に秀でるという人物には成りにくいという欠点があるのも事実です。

一方、我慢強い人は人知れず気持ちを抑えたり、自己表現をせずに鬱憤を溜めてしまったりするのですから、そのつけは必ず後の人生に回ってくることになるのです。

その時に心の癒しが必要になるのですね。セッションにいらっしゃるクライアントさんの多くは、きっと我慢強いタイプの人たちなのではないかと感じています。

そして、最近気づいたことなのですが、この我慢強さがいずれとても大きな役割を果たすことになるということです。人が癒される前までの我慢強さは、自己防衛のために使われたのです。

そして癒された後の我慢強さは、より意識的であり続けるために使われるのだろうと思うのです。私自身は修行や苦行といったものが苦手なのですが、そこで必要となるのが我慢強さなのです。

人生の初期に自分の我慢強さを発揮して、苦しい人生を生きてきた人は、ある意味修行に対する準備が整っていると言ってもいいのかもしれません。

どんなことでも無駄なことはないということですね。