関係性こそがエゴ

独りで心静かに瞑想していると、人物としての自分がいなくなっていくのを感じることができます。なぜなら、人物というのは、人との関係性の中にこそあるからです。

自分とただ一緒にいると、つまり独りの中に深く入って行くと、そこにはほかに誰もいないのです。そこには、どんな関係性もありません。

そうなると、自分がどんな人物か、性別も、年齢も、国籍も、家族も、一切合財が不明になってしまうのです。自分は物静かなのかおしゃべりなのか、優しいのか怒りっぽいのか、どんな性格も消えてしまいます。

なぜなら、そうしたあらゆる特徴というのは他の誰かとの間にこそ成立するものだからです。実際、もしもあなたがこれから先死ぬまで無人島で独り暮らすなら、あなたのこれまでの特徴は全部消えてしまいます。

痩せているのか太っているのか、背が高いのか低いのか、どんなことでも他人との比較の上でしか成立しないことだからです。

まったくの冗談にしかなりませんが、もしもあなたが学生であれば、あなたの現在の偏差値など、すぐにどこかへすっ飛んでしまいますね。

エゴというのは、関係性の中にこそあるのです。関係性こそがエゴそのものであるとも言えるのです。けれども、関係性がなくなったとしても、あなたの本質が丸ごと消滅してしまうということはありません。

あなたはエゴではないからです。それなら、あなたの本質とは一体なんなのかということになります。それを探求してみたくないですか?

日頃あなたがこれが自分だと思っていた人物像、あるいは人格というものは、他人が作ったものなのです。あなたの本質は、ほかの誰かに作れるようなものでは決してありません。

もしもあなたがあなた自身の存在に気づくことができれば、あなたの生はすっかり変容してしまうはずです。なぜなら、なにものでもないあなたは生まれたことも死ぬこともないのですから。

死から解放されるなら、どんな深刻さとも無縁になりますね。その境地に一刻も早く戻りたいとは思わないでしょうか?