怒りと怒りを感じることへの罪悪感

今日も短めに…

幼い子供が、自分の額を壁などの固いところにガンガン打ち付けている姿を見たとしたら、

あなたならそこから何を感じ取るでしょうか?

私は、その子の中にある、まかないきれない大きな心の葛藤を感じます。

打ち付けるのは、怒りの表現であると同時に、

そのような怒りを感じる自分を罰しているのだと。

そんな張り裂けそうな幼い子供の苦しみが、

いつか癒されることを願わずにはいられません。

以上

あなたが満ち足りるとき

今日もシンプルに…

あなたのエゴは、不平不満のない満ち足りた人生を目指しているように見せかけて、

実は決してそこには到達しないようにして、あなたを騙し続けているのです。

その理由は、いたって簡単!

あなたが満ち足りるときは、エゴが消滅してしまうときだからです。

それをしっかりと見抜くことですね。

以上

真理を語るには沈黙しかない

真理についてのどんな言葉も、真理についての表現でしかなく、真理そのものではないという単純な事実を忘れてはいけません。

非二元性(ノンデュアリティ)が真理の代名詞のように語られていますが、それはこの世界が二元性でできているという主張と同程度に正しいに過ぎません。

人間には自由意志というものはなく、すべてはただ起きているだけだというのも、真理について言っているだけなのです。

言葉とは、真理について語ることができるだけで、真理そのものではないということです。それは、月を指さす指が月そのものではないことと同じです。

真理とは、沈黙だけが…!

シンプルな実験 その2

今日もシンプルな実験を一つ…

実験に入る前に、次の二つの事実の違いに気づいているようにして下さい。

その花が綺麗ということと、その花が綺麗だと思っていることの違い。

あるいは、あなたを愛しているということと、あなたを愛していると思っていることの違い。

油断すると、思考はあらゆる事柄に入り込んでくることに気づくことです。

どんなすき間にも侵入してくる思考と、それを見ている意識があることに気づくのです。

その上で実験です。気楽に試して下さいね。

「私」という思考が

決して到達し得ない空間に

意識を向けてみる

戻ってきたときに、「私」が置き去りになっていたことに気づけるかもしれません。

以上

 

バルドの言葉

バルドの言葉 ~死にゆく人へ~

『さあ、静かにしなさい。意識してこの生を離れなさい。
死によって生を奪われるのではなく、むしろ掴んでいる手を緩めなさい。
死に打ちのめされてはならない。闘ってはならない。
ただ、自分の執着をすべて捨てなさい。あなたにとって、この世は終わった。
この生涯は、あなたにとっては終わった。それにしがみついても意味はない。
それにしがみつけば、死を相手に闘うことになる。あなたに勝ち目はない。
しかも、ある非常に重要な可能性を見逃すことになる。
自分の中に起こって来ることすべてを、ただそのままに任せなさい。
くつろいで敵意など抱かずに、死を生の頂点として、自然な現象として受け入れなさい。
それは何一つ終わらせはしない。
意識を持ち続け、起こっていることを見ていなさい。
肉体が、ますます自分から離れて行く様子を、あたかも鏡が倒れて
粉々に砕けて行くように、マインドが剥がれ落ち、バラバラになって行くさまを、
自分の感情、自分の情感、気分、自分の生を形作っていたものすべてが、
消えゆくようすを見ていなさい』

人間という素晴らしい存在

今日もシンプルに…

私たち人間とは、何と素晴らしい存在なのだろう!

動物は、何をどうしようと動物のままだし、

神がいるなら、神だって神のままでしかない。

けれども、我々人間だけが、動物以下にもなれるし、神にもなれる。

その幅を持っている存在は、人間に限られるのだから。

以上

実験してみて下さい

今日はシンプルな実験を一つ…

マインドを静かにして、その内奥へと進めて行った時、

そうした内面の作業を全部見ている存在があることに気づきます。

それが、「私」という自我です。

さて、その「私」を見ているのは何でしょう?

それは決して見られる客体になることはない、

純粋な主体として在る、あなたの本質です。

以上

「転移」について

人は誰もが、錯覚の中に自分自身の救いを見ているので、自分自身の錯覚を守ろうとするものです。そのために、その人は錯覚からその人を救おうとする人を、自分を攻撃してくる人だと信じるかもしれません。

そうなれば、その人は救おうとする人に対して、攻撃し返そうとするでしょうね。これが、クライアントさんとセラピストの関係において、時々起る現象なのです。

セラピストは、クライアントさんの自画像という、クライアントさんが最も大切にしている所有物を攻撃してくる人として見なされてしまうのです。

そして、その絵はクライアントさんがそれと知覚する通りに、クライアントさんの安心感になってきたので、セラピストは現実的に危険人物だとみなされてしまうかもしれません。

こうした心の在り様を一般的には投影と言うし、セッションにおいては「転移」と呼ばれたりします。

セラピストはクライアントさんにとって、本当は安心できる人物でなければならないのですが、転移が起きれば信頼関係は吹っ飛んでしまいます。

セラピストがクライアントさんに嫌われないように防衛するとしたら、それは論外ですが、一方で転移をしっかり見て、それをうまく扱えるようにならなければ、クライアントさんの癒しの機会が奪われてしまう可能性もあるということですね。

セラピストが直面することの中で、転移は最も難しい問題かもしれません。

意識が鍵だ!

by osho

意識は、あなたの生に異なる質をもたらす。意識をして、ものごとが変化し始める。途方もなく変化する。自分でそれらを変えるのではない。

まったくそうではない。意識的な人は何も変えようとしない。無意識な人は絶えず、すべてを変えようとする。しかし、これまで無意識な人が、ものごとを変化させたことはない。

意識的な人は、変化が起こることを見い出すだけだ。途方もない変化が起こることを。

変化をもたらすのは、努力ではなく意識だ。なぜ、それが意識を通して起こるのだろう?--意識はあなたを変えるからだ。あなたが変われば世界全体が変わる。

要点は、違う世の中を創造することではない。要点は、違うあなたを創造することだ。自分こそ自分の世界だ。だから、あなたが変われば世界が変わる。

あなたが変わらなければ、世界全体を変え続けても--何も変わらない。同じ世界を、何度でもあなたは作り出し続けるだろう。

あなたが自分の世界を創造する。あなたの世界が投影されるのは、あなたの中からだ。