できないよりできるに価値がある?

何かをやり出すと、そのことに夢中になるあまりに、自分がどれだけ無理をしているのかということが分からなくなって、後でそのツケがやってくるという人がいます。

もしも、それが本当にやりたいことであるなら、後でやってくるツケは単に身体の疲労だったりするわけです。たとえば、じっと凝視するあまりに目が疲れるなど。

けれども、その一方で精神的な無理がそこにある場合には、間違いなく精神的なツケがやってくることになってしまいます。

たとえば、あまり気乗りしないことだったり、仕方なくやることになったことなど、普通なら嫌だなということが頭から離れずにいるはずなのに、それを忘れてしまってやってしまうと、その無理は内面を傷つけることになるのです。

それはきっと、自分の能力が存分に発揮されている、自分はきっと誰かの役に立っているという思いが価値を生み出して、その安心感に後押しされて頑張ってしまうのでしょう。

私たちのエゴは、できないよりもできるということに価値を見い出す性質を持っているからですね。できてもできなくても、どちらでもいいという本質に気づくことができるなら、この問題は起こりません。

そして、いつも自分のマインドと行動を観ていることができるなら、やはりこのような問題からは解放されることになるでしょうね。

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