私たちの意識というのは、外側の世界へと向くように条件づけられています。あなたを取り巻いているものに、注意が向くように仕込まれるのです。
私たちの知覚そのものが、外側の世界からの情報を取得するようにできているということもその要因なのです。放っておけば、外に何かを見い出すのです。それはとても容易なことなのです。
その一方で、知覚を使うことなく、自分の内側へと注意を向けることには慣れていないのです。見ることも聴くことも、触れることもできないのですから。
だからこそ多くの人たちは、外側の世界に魅せられ続けるのです。言ってみれば、自分以外のターゲット、つまり客体、モノへの関心です。
そこから人生が始まるのですが、どうやら外側の世界へ期待しているだけでは決して満たされないと気づいた人だけが、第二のステップである内側へと向くようになるのです。
ある人は苦しみ抜いた末に、またある人は絶望して、そして向きを180度変えるということに気づくようになるのです。
ひとたび内側へと向けることができると、そこには思ってもみなかった広がりがあるということに気づくようになるのです。
それまでは、自分なんてこの宇宙からすれば、何と小さなものかと思っていたのですが、実は内側の世界は宇宙と同じかそれ以上に広大だと気づくのです。それが客体から主体への変化です。
客体の世界を生きる人にとっては、行為が極めて重要となるのです。物的世界でやっていくためには、人は行動的でなければならないからです。
一方で、主体の世界を生きる人にとっては、行為は重要ではなく、重要なのは感性なのです。だから、そういう人は非活動的で、眠たげで、ちょっと怠惰な感じがするのです。
客体の世界の代表が科学だとすれば、主体の世界の代表は芸術と言えるかもしれませんね。そして更なるステップアップがあるとするなら、その両方を超越すること。
外側であり、内側でもあって、そのどちらでもない、それが意識なのです。意識に意識を向けるようになることができれば、外と内を超越して、客体でも主体でもない、両方を目撃する純粋な意識としての気づきになるのですね。