個人としての自分は地に落ちる

長い間、自分という個人は一つのまとまりとして存在しており、それなりに一貫性を持っているし、泥酔でもしない限りは、ある程度信頼に足る奴だと思ってきました。

それが予想だにしなかったのですが、次第に自分という個人としてのまとまりが曖昧になってきた感覚がするのです。

そればかりか、生きているという感覚さえも曖昧になって、いわゆる現実感というものが激減してしまったように感じているのです。

これがちょっとした病的な症状に過ぎないのか、それともエゴの弱体化によるものなのか、自分ではなかなか判断がつかないのです。

いずれにしても、それで困るということは全くないので問題はないのですが、この先自分がどのような感覚の方へ行くことになるのか不明なのです。

セッションでクライアントさんとお話しすれば、特別何も変わった点はないと思われるはずだし、それは確かにそうなのですが、独りのときには何だか怪しい感じがしています。

何から何までそのままでいいじゃない!というのが増えてきたし、どんな問題も所詮は大したことはないということがはっきりしたのでしょうね。

悲しかったら悲しめばいいし、悔しかったら怒ればいいし、じっとしたければずっとじっとしてるだけ。そうすると、個人としての完成度は地に落ちる。

その一方で、少しずつ本当に少しずつですが、個人が解体していって、自分も他人も誰もいない物語のない実存に気づくようになるのかもしれないですね。