我々の思考は、いつもどんな時でも過去を材料として活動しています。過去のデータを基にして、それらを組み合わせてあたかも新しいものを生み出しているように見せかけるのです。
けれども、それは表面的なことであって、原理上必ずや古いものの焼き直しでしかありません。だから、思考が止まらない人は、『生』に乗り遅れてしまうのです。
『生』は常に全く新鮮だからです。思考だけが、過去を繰り返しているのですから。無思考でいられると、防衛が緩むことによってハートが開くことになるのです。
ハートとは私たちの受容する力のことです。ハートは、いつもまったく新規にやってくる事象をあるがままに受容してくれるため、周りは常に新鮮なもので埋め尽くされていることに気づくのです。
恋人と付き合いだした時には、相手のことがとても新鮮な存在として感じることができたのに、何年か経ってくると、その新鮮さが失われていくという経験を誰もがしているはずですね。
それはあるがままの相手をハートで見る代わりに、思考を使って判断してしまうからなのです。本当は、自分も相手も『生』の一部として常に新しくなっているのです。
昨日と同じ自分、昨日と同じ相手はいないのに、思考は過去を使って相手のことを判断してしまうために、古臭く感じるようになってしまうのです。
外側も内側も沈黙し、耳を澄ました状態で今この瞬間に在れば、思考が止まり、ハートが開いて新鮮な自分、新鮮な相手、新鮮な『生』を満喫できるはずなのです。