人が人に何かを伝えようとするとき、勿論ウソではなく真実を伝えようとするはずなのですが、残念ながら真実を言葉で伝えることは不可能なことです。
言葉は思考だからですね。けれども、大切なことは真実を言葉に乗せて伝えようとすることよりも、如何にその言葉が役に立つかという点です。
その言葉が聴く側にとっての大切な気づきを喚起するのでしたら、たとえそれがウソであろうと構わないのです。もっと大胆に表現するなら、どんなウソでもいい加減な内容でもいいのです。
結果として、聴き手のマインドに新しい何かが起きて、それによって今まで気づくことのなかった新たな洞察がやってくるなら、それこそが最大の成果なのですから。
その過程で、どれほど嘘つき呼ばわりされようが、否定的な評価を与えられようが、そんなことはただの一過性のことであって、取るに足りないことなのです。
伝えようとすることは、聴き手がどのような状態にあるかによって、表現方法、言葉がまったく変わってしまうことも確かにあります。
それはもう仕方のないことです。だから、昨日の言葉と今日の言葉が正反対の意味を持ってしまうこともありうることなのですね。
言葉はその瞬間の状況に最も役に立つものを選ぶ必要があり、その次の瞬間にまた別の表現方法が適しているという可能性だってあるのです。
聞き手にとって一番大事なことは、言葉を言葉として聴くのではなく、相手が何を言わんとしているかという点に注意を向け続けるということです。