憲法を見直す

昨日、悲惨な事件にまつわる個人的な気持ちを書いたついでに、今日は普段触れないような憲法のことについて少しだけ書いてみたいと思います。

長い間、日本の憲法を平和憲法として、世界に類を見ない素晴らしいものだと信じて生きてきました。けれども今では、それがあまりにも不勉強と子供じみた理想主義だったと分かるのです。

私はどんなイデオロギーも好みではありません。なぜなら、それこそがエゴの一番大好物だと分かっているからです。イデオロギーと率直な気持ちとは違うはずですね。

自分の大切な人が誘拐されそうになったり、誰かに傷つけられそうになったら、当然相手と闘ってでも守ろうとするはずですが、それは決して特定のイデオロギーなどではないですね。

それと同じように、日本人の誰かが北朝鮮という国から拉致されたと分かっていながら、それを取り戻しに行くことのできない憲法が、本当に平和憲法などと言っていられるのかということ。

そう言うと、国家と個人とは違うという声が聞こえてきそうです。そこにどんな違いがあるのでしょうか?自分の家族であろうと、知り合いの家族であろうと、見ず知らずの日本人の家族であろうと、救おうとする気持ちに違いはないはずです。

憲法を変えたら、徴兵制が復活するかもしれないなどと考える人がいるなら、あまりにも無知過ぎます。今は戦争の形態も大分変わってきているのです。

武器はハイテクになっていて、ずぶの素人が数年間の徴兵によって、操れるような代物ではなくなっているのです。特殊な訓練を受けたプロだけが、武器を使えるのです。

現在の憲法のままでは、絶対に拉致被害者を取り戻しに行くことは不可能です。話し合いによって解決するという道もほとんど絶望的です。

自分の一番大切な人を守りたいという、その気持ちを普遍的なレベルに持っていくならば、戦争を抑止したいと強く思うなら、勇気を持って憲法を見直してみるという態度が必要でしょうね。

勿論、これも思考がこしらえた物語には違いないのですが…。