初期仏教の長老と呼ばれている人が、あるYouTube動画の中で無常について解説しているものを観たのですが。
その中で、最終的には「無常=存在」であるというようなことを言っていたのですね。なんだかよく分からない話だなあと。
とりあえず初期仏教においては、無常を本当に深く理解することができたら、それが悟りだということを伝えていたのです。
その時は、そんなものなのかなあで終わっていたのですが、つい最近ちょっと気づいたことがあったのです。
それは、もしも無常がなかったなら、つまりずっと同じ状態が続くことが仮にあったとしたら、それは存在を認識できないはずだと気づいたのです。
何かが存在すると認識するためには、常に「在る/なし」というのを繰り返している必要があると分かったのです。
簡単に言えば、変化しないものは存在すると認識できないということです。例えば、ある音がずっと鳴り続けているとします。
普通は、その音はまったく変化していないと感じてしまうのですが、実は音は全て「在る/なし」を繰り返しているのです。
これは、オシロスコープなどで波形を見れば明白です。その波形は、常にプラスだったりマイナスだったりしているのです。だから、その音が鳴っていることに気づけるのです。
かなり低音の音であれば、その断続を感じることができます。そうした経験は誰でもしているはずなのです。
これは非二元の立場とは関係ないことかもしれませんが、万物が無常であるなら、変わらずにあり続けると思っている「私」は幻想だということになりますね。
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