「分別」をどう見るか?

皆さんは、「分別」という言葉を聞いてどのようなことをイメージするでしょうか?一般的には、物事の善悪、道理を見分ける力と見るはずです。

例えば、分別のある人=常識的で判断がしっかりしている人だし、逆に分別のない人=軽率で無思慮の人だと。

つまりは、分別とは冷静に判断する知性や常識のことを指すわけです。ところが、仏教的な意味では違ってくるのです。

仏教では「分別」はむしろ注意すべきものとして扱われるのです。それは、対象を分けて捉える心の働きなのだと。

例としては、善悪、良い悪い、好き嫌い、自分と他人。つまりこれは世界を切り分けて理解しようとする思考なんだと。

なぜそれが問題になるのかというと、本来一つの現実をバラバラに見てしまうことで、執着を生むことになるからです。

理想に近い自分は素晴らしくて、現在の自分はまだダメだとして、自分のあるがままを断罪してしまうのです。

これが苦しみの原因であることは明らかですね。非二元でも、思考による二元化する前の現れだけがあると気づいているので、分別はあり得ないのですね。