存在する、しないのどちらでもない

私たちの誰もが外の世界があると信じています。そしてその対極としての内の世界、つまりは内面(心)もあると信じています。

外側の世界がなくて、心だけがあるというのも変だろうし、内面がなくて外の世界だけがあるというのも変だと感じるわけです。

私がかつて目指していた覚醒するというのは、内面の主としての自我が崩壊して、外の世界だけになるというイメージだったと思います。

けれども、今はそんなアンバランスなことにはならないはずと感じるようになりました。また、その逆も然り。

外側の世界がなくて、内面(心)だけが存在するというのは、もっとあり得ないと感じます。そんなことは想像もできないのです。

そもそも、内側というのは外側があるという信じ込みから作られたモノだと理解できたので、そんなことには決してなりようがないのです。

つまり、一番納得できるのは、外と内が同時にない世界、つまりは非二元が最も自然なのですね。

普通の感覚では、自分が死んだ後もこの世界はそのままに残るものだと考えているのですが、そうではないはず。

私たちは、今でも生きているわけでも死んでいるわけでもないからです。存在するか存在しないかを越える必要があるのかもしれません。

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