自我はどう生まれるのか?

「自我がどう生まれるのか」は、哲学・仏教・神経科学・心理学で少しずつ説明が違うようですね。でも共通しているのは、

「固定した“自我”が最初からある」というより、経験を整理する過程で“自分”という感覚が形成される、という見方。

たとえば赤ちゃんは、生まれた直後には、自分、外界、他人、時間、物体、を大人ほど明確に分けていないと考えられています。

そこから、この感覚は自分の身体、この声は母親、この動きは自分がやった、これは昨日と同じ世界、という区別を学習していくのです。

脳は膨大な情報を整理しないと生きていけないので、「この経験群をひとつの主体にまとめよう」という統合モデルを作るわけです。

それが「私」という感覚の核になっていくということです。神経科学的には、記憶、身体感覚、視覚、言語、予測、社会的役割、などが統合されるのです。

そして「連続した自己物語」が生成されると考えられているのです。つまり自我は、「脳内に存在する単一の司令塔」というより、統合された物語に近いのです。

仏教や非二元では、ここからさらに踏み込んで、「私がいる」という感覚自体が、後付けの認識ではないかと探求するのです。

例えば、音が聞こえる、思考が起こる、感情が起こる、行動が起こる、その後で、私が聞いた、私が考えた、私が決めた、という説明が付与されているのではないか、という見方。

自我は「機能」としては存在する、しかし「独立した実体」としては見つからないという方向に進んでいくわけですね。