私たちのこの社会においては、一人ひとりの個々人がそれぞれに自律的な存在として生きて、相互に活躍することによって成り立っています。
というか、そう思っているのですが、実はそうではありません。もしも、自分には○○ができると思うのでしたら、それが本当のことかどうかを疑ってみることです。
例えば、私は○○の仕事ができる、私は○○という唄をカラオケで歌うことができる等々。では、仕事をするときに、どのようにしてそれをこなしていくのか、詳細に見てみて下さい。
その一つひとつは実は自動的に行われているということに気づくはずです。カラオケに行って、ある曲を熱唱するときに、具体的にはどのようにして声を出すことができるのか?
自分の身体の無数にある細胞が有機的に結びついて、あなたの声帯を震わしたり、タイミングよく呼吸をしたり、耳から聞こえる自分の声の音程を調整したりするのです。
食べること、眠ること、歩くこと、そのどれをとってみても、どうやればそれを成し遂げることができるのかを、詳細に説明することができる人など、一人もいないのです。
私たちは、自分の独自の力によって、培った能力を駆使することで、したいことを自らすることができると勝手に思い込んでしまっているだけなのです。
そう思い込むことでエゴが存続することができるからですね。けれども、エゴは架空のもの、思考の産物に過ぎないのですから、そのエゴに何かをすることなど不可能なのです。
誰かが何かをしているという物語は、エゴにとって確かに魅力的に映るのですが、残念ながらそんな物語はエゴが作った思考の中にしかありません。
実在するものではないということですね。それなら、何が起きようとそれはそういうことなのだとして、ただ観ることです。すべてはそのようにあるがままに、自動的に起きるだけなのですから。