いつか探究が終わる時

自分を徹底的に見ようとすると、シンプルに自分をどこにも見つけることができないということに気づいてしまいます。それなのに、そのことにびっくり仰天する人はほとんどいないのです。

何か辻褄の合わないことが起きると、それをうやむやにしてしまうクセが人間には備わっているようです。そして、意味のないことにエネルギーを費やしても仕方がないとばかりに、忘れてしまうのです。

それでも、ごく少数の物好きな人がどこにでも必ずいて、そういう人はなぜ自分を発見することができないのかを探究し始めたりするのです。

その探究の課程で、様々な気づきがやってきたり、何か途方もない恐怖に飲み込まれそうになったり、絶望感がやってきたりするかもしれません。

けれども、そうした体験には大きな価値があると思うのです。人生を安全で確実なものにしたいというエゴの欲望を脇に置いて、ひたすら探究へと入っていくこと。

不安を何とかして安心に変えようとするいかなる努力もやめて、自分へ自分へと深く入っていくのです。その時に、人は完全に孤独であることに気づきます。

それを誰かと一緒にやっていくことはできないと悟るからです。まったくもって自分独りだけの内面的な作業が続くのですね。

そして探究が終わる時、それはいつかきっとやってくるのでしょう。それは、探究している自分がどこにもいないという気づきと共に終わりを迎えるのです。