惨めさを受け止める

私たちは、誰であれ大なり小なり戦っているのです。一体何と戦い続けているのかというと、自分が一番恐れているものとです。ある意味死よりも恐れているものです。

それは実は、自分の惨めさなのです。正確に言えば、自分は惨めだという思いです。幼少のころからその惨めな思いとずっと戦ってきているのです。

人よりも劣っているという劣等感は惨めさを起こすし、理不尽なことを言われたりされたりしても惨めさは募ります。誰からも相手にされないなら、それも惨めな気持ちになるはずです。

無力感というのは、最も惨めさを生み出すものでしょうね。だから、エゴはできないよりもできるということに価値があると思い込むのです。

何であれ、癒しとは惨めな思いと戦うことをやめていくことなのです。そのためには、まず初めに自分の惨めな思いに気が付くことです。

大抵の場合、惨めな思いを隠して生きているからです。それは当然のことですね。その感覚を味わいたくないからこそ、戦っているのですから。

だからまず、どれだけ自分は惨めな思いを持っているのかを探ることです。そのうえで、その惨めさから一歩も逃げないようにするのです。

惨めさとは、思考が創り出したものであり、実在するものではありません。だから安心して惨めさの中に入っていくのです。逃げるのをやめたとき、戦いは終結を迎えるのです。

戦わなくなったとき、人生はあなたにやさしく微笑み出すはずです。それまであれほど牙を向けてきた人生だったのに、突如として暖かさに包まれることになるはずです。

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