欲の分だけ面倒がやってくる

この社会というのは、実のところ所有とかその権利とかで出来ているのですね。所有というのが単なる概念であって、所有という真実はないと知っているものにとっては、なかなか生き辛いのです。

所有というのは、単なる約束事であって、実体というものはありません。これは私のカバン、これは私のクルマというのは、誰もがそれを認めてくれるかどうかにかかっているわけです。

世界に自分一人しかいなければ、所有という概念は消え去ります。こうした約束事が大事なのは、その約束を破る不届き者がいる可能性があるからです。

誰もが約束を守る真っ当な世界であれば、法律はそれほど必要なくなるはずです。相続という面倒なものが発生するのも、この所有の概念を守るためなのですね。

亡くなった人が所有していたものを相続する際に、面倒な手続きが必要となるのは、人間の欲が様々な問題を引き起こす可能性があるからなのです。

所有の概念に、共有するというものがありますね。つまり、複数の人同士で、何か一つのものを所有するというものです。これがなかなか面倒なのです。

私たちの通常の感覚であれば、あるものを自分ともう一人の二人で共有するというときに、もう一人の人がもういらないと言ったら、自分だけのものになると思っています。

けれども、法律的には、共有というのは、所有権を分割することになるのです。二人で、0.5ずつとか、0.6と0.4などのように、分割する割合というものが発生するのです。

したがって、相手が所有を放棄したとしても、残りの部分を相続しなければ全部が自分の所有にはならないということです。

はあ、面倒面倒!!こんな社会にしたのは、私たち一人ひとりの欲望のせいなのですね。私自身の反省も込めて、自分の欲の深さの分だけ、人生は面倒なことになるということです。

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