深い瞑想をするようになると、不思議な感覚がやってくるようになります。それは、敢えて言葉で表現すると、決して幸せではないのに満ち足りているというもの。
決して幸せではないというのは、不幸だという感覚とはまた違うのです。瞑想状態においては、幸福感も不幸な感覚もどちらも消えてしまうのですから。
なぜなら、幸福感も不幸な感覚も純粋な感性からやってくるものではなく、実は思考がその元には動いているということです。
思考によって、○○だから幸せなのだとか、○○だから不幸に違いないというように、幸不幸を決めるために思考を働かせて判断しているのです。
私の独断で言わせてもらえば、純粋にハートだけで幸福感を感じたり、不幸だと感じることはできないと思うのです。ハートはもっと別のものを感じるはずなのです。
それは、どんな理由もない感覚なのです。だから「何故か」という質問には答えることができないもの。満ち足りた感も不足感も実はそういうものなのです。
私たちは、何を手に入れたとしても、不足感から逃れられません。それは、これといった理由のないものだからなのです。それは分離しているという状態からやってくるものだからです。
もう一方の満ち足りた感というのも、具体的などんな理由もあるわけではありません。それは、分離が消滅した状態において自動的にやってくるものだからです。
幸不幸を求めることが不毛なことだと深く理解することができると、分離しているという思考から離れることによってのみ、不足感から解放されると気づくのです。
それを至福と呼ぶのですね。