私の母親は、上三人が男、下四人が女という七人兄弟の末っ子なのですが、現在亡くならずに残っているのは上から五番目の姉と母親の二人だけ。
ただ、その叔母はもう95歳という高齢なので、クルマであっても長距離は難儀になっていて、まだ元気な母親の方が叔母に会いに行くことができるので、一昨日クルマで連れて行ってあげたのです。
その道中の二時間弱の間に、母親から面白い話しを聞くことができました。知っているようで知らなかった父親と母親の最初の出会いの場所とか。
なぜ母親がその職場に行くようになったのかという理由や、一つ上の姉の性格がおとなしい人だったために、実家の近所の家に嫁にいくはめになったこととか。
その姉がその縁談を断っていたら、母親が代わりにそこに嫁に行っていたかもしれない。としたら、自分はこの世に生まれてはいない。
また、嫁いだ姉の隣の家の人が母親を見染めて、やはり嫁に欲しいと言われたときに、すでに父親と知り合っていたために、断ることができたということ。
ほんの少しでもそういったタイミングや、個人の性格などが異なっているだけで、未来はまったく違ったものになっていただろうということをリアルに感じたのです。
自分という個人は、まったくの偶然の賜物なのですね。すべてがからまっていて、何一つ無駄がない。そういったこのワールドのもつれを意識してみると、すべてがただあるがままでいいということが、またはっきりするのです。