「死ぬ準備」と言われて、どんなことをイメージするでしょうか?大抵は、持ち物を処分したり、財産の整理をしてみたり、遺言を書いたりと、残された人に対するものがメインだったりします。
勿論それも大切なことかもしれませんが、実はもっともっと大切なことがあるのです。それは、死にゆく自分自身に対する準備なのです。
そう言うと、今度は死ぬ覚悟をするとか、心の準備を整えておくなどのように思いがちですが、そうでもありません。実は、死を通り抜ける準備なのです。
私たちの存在の本質についての洞察を深めていくと、死というのは一つのイベントであるということが分かってきます。確かに大きな出来事です。
けれども、それは肉体やエゴの死であって、自己の本質がそれで変わることはないのです。そのことを身をもって体験するための準備が必要なのです。
そのためには、死に瀕して危篤状態(無意識)にならないことなのです。意識を持って死を迎えることができるなら、死は一つの通過するイベントでしかなくなるのです。
もしも意識的に死ぬことができるなら、来世は今世のすべての記憶を持って生まれてくるはずです。それは魅力的な人生になることでしょうね。
死に対する恐怖を持たずに生きれるのですから。そうなったら、まったく異なる人生を送ることができるだけでなく、間違いなくその生で光明を得ることになるはずです。
生を深い瞑想と共に生きることと、死ぬ準備をすることは一つのものです。如何に意識的であり続けるか、すべてはそこにかかっているのです。