誰だって非常識な人だと思われたくないですね。非常識という言葉には、何かとてつもない否定的なニュアンスが盛り込まれているからです。
人間失格まではいかないかもしれないけれど、どうしようもないダメ人間とか、世間の鼻つまみ者のような感覚があると思います。
その感覚を使うなら、私にとっての非常識とは、イヤホンをしてスマホをいじりながら、右側通行をしている自転車に乗っている人が浮かんできます。
その一方で、私のようにあらゆる冠婚葬祭事にまったく興味を持てないのは、そういうことに深い思い入れを持っている人からすれば、非常識な人ということになるのでしょう。
ここで少し冷静に非常識という言葉の意味を味わってみると、ただ「常識にあらず」と言っているに過ぎないということも分かります。
常識と異なることが、すぐに否定されるというのはおかしなことです。常識とは、一般的なマジョリティと言っているに過ぎないのですから。
誰かにとっての常識は、他の誰かにとっての非常識であることは多々あることですし、それが当然のことなのです。私は、非常識という言葉を否定的に扱う人間の心理の背後にある自己防衛を強く感じてしまうのです。
ですので、癒しの観点からすると、非常識をお勧めしたいのです。勿論、否定的な意味でということではなく、常識的であるということが防衛に繋がりやすいという観点からです。
誰からも後ろ指をさされないように生きれば、常識から外れないようになってしまうのは当然のことですね。常識かどうかを判断せずに、自分に正直に生きて、それを人から非常識と思われてもいいという覚悟が必要ですね。