「私はあなたを愛する」というとき、あたかも愛という名詞を動詞のようにして使っていることが分かりますが、これって違和感がないでしょうか?
愛はすることでも成されることでもないし、ただ起きることなはずなのに。きっと丁寧に言えば、「私はあなたを愛しいと感じる」になるのでしょうね。
愛という名詞を愛しいという形容詞にするなら、問題がないように思います。形容詞で形容されることは、自然発生的なものだからです。
愛を能動的に起こすことは不可能ですね。およそこの世界で、大切なことというのは自然発生的なものなのです。
何かが主体的にすること、為すこと、起こすことは本質的にはどうでもいいことばかりです。ところが、この社会ではそうしたものにこそ価値があるかのように扱うのです。
それが慣例になってしまっているので、誰もが幼い頃から間違った教育を受けてしまったのです。これこそがエゴが栄え続ける原因なのです。
主体的に独自の意志を持って行なうことは、すべてがエゴの活力となるのです。それが結果として後悔するようなことでも、手柄となることでも。
個人というのが思考の中の仮想的な存在であることを思い出すなら、この世界のすべてが自然発生的に起き続けていると理解できるはずです。
それなら気張ることも焦ることも、緊張することも必要ないと気づけばいいのです。すべては自然発生的に起きるのですから。