人の数だけ人生があって、その一つとして同じ人生がないというのはとても面白いことですね。
けれども、そうした人生にも共通した、しかも隠されて見えなくなっている原動力があるのです。
それが惨めさからの逃亡なのです。私たちのマインドの一番根っこの部分には惨めさが隠されています。
それは、幼い頃全体として生きていたそれまでの平和な毎日から、突如としてここに自分がいるという思いに駆られてしまった時から始まるのです。
このちっぽけな身体の内側だけが自分で、その外側の広大な世界から切り離されているという思い込みこそが、惨めさの原点なのです。
勿論成長していく中で、表面的には暖かな家族や友人たちに囲まれて、そうした惨めさを忘れてしまうこともできるのですが、なくなることはありません。
大人になって、幸運にも社会の一員としてうまく順応することができれば、他人よりも何かが優れていると思えるなら、自分は愛されていると感じれば、惨めさは隠されるでしょう。
けれども、個人として生きている限りは、惨めさが消えることはありません。そして、惨めな思い込みが強ければそれだけ、惨めではない自分になろうと頑張るのです。
その大小はあっても、結局はそれが人生劇場なのですね。ところで、惨めさとは事実でもなければ感情でもなく、ただの思考です。
だから惨めだという思い込みと表現したのです。繰り返しますが、惨めだという事実はどこにも存在しません。それは思考による判断に過ぎないのです。
このことに深い理解ができれば、惨めさから逃げないでいられるようになるはずです。もしも今あなたが自分は惨めだと感じているならチャンスです。
大切な気づきが、近くまでやってきているからです。勇気を出して、惨めさの中に入ることです。
それができた時、惨めさは作りものだと分かるはず。そうすると、今までの生き方が自然と変化し、よりシンプルな人生へと変わり出すのです。