過去のことを考えるたびに”私”が入りこむ。
未来のことを考えるたびに“私”が入りこむ。
だが
あなたが今ここに在って、過去も未来も考えないときには、あなたの”私”はどこにいる?
あなたはそれを感じられまい。
それはそこにはない–
自我は現在の中には存在したことがないのだ。
by osho
とってもシンプルな表現ですけど、これこそが真実ですね。個人としての自分は、今現在を生きているような気がしているのですが、そうではないということです。
個人とは思考の中の住人なので、過去と未来という物語を渡り歩いて生きている気になっているということなのでしょう。ここは、なかなか分かりづらいところかもしれません。
そもそも人生というスパンで考えなければ、それを生き抜いてきた自分など見当たらないのですから。今この瞬間に人生は存在しないというのは、確かなことです。
いやいやそんなはずはない、あの頃は大変だったけど今の暮らしはだいぶ良くなったというように、今をちゃんと生きてるじゃないかと考えるかもしれませんね。
でもそれは違います。この場合の今というのは、この頃ということで、osho のいう今ここに在ってというのは、時間のことを言っているのではないのです。ほんの数秒前の過去とほんの数秒後の未来の間。
そこには時間は存在できないのです。そこに思考が入り込む余地はないのですから、思考の作り物である「私」が不在というのは当然のことです。いつも何かを考えているなら、このことは体得できないでしょう。
それでも大丈夫です。分かるかどうかとは関係なく、「私」という個人が存在しないのは、誰にとっても共通している真実なのですから。