許しは訪れるもの

英語で、謝る=apologize は自動詞ですが、許す=forgive は他動詞なんですよね。つまり、forgive はその後に目的語がくるのですが、それが罪だったり相手だったりするわけです。

〜を許すというとき、何となくそこに意思の力のようなものが存在するように感じませんか?広く寛大な心でもって許す、のような…。それはきっと他動詞だから、そんな感じがするのだと思うのです。

ところで、意思の力、つまり思考でターゲットを許すということができると思いますか?実はこれは真っ赤なウソ。自分の意志力で眠りにつけないのと同様に、許すという力は思考にはありません。

実際には、許さないという思い、もっと言えば執着が消えたときに、そこに許された状態がやってくるということです。

だから、私はあなたのしたことを許した、というとき、それが本当であるなら、私はあなたのしたことについてどうでもいいという心の状態になっている、ということです。

繰り返しますが、寝ずにいるということは意志力で可能ですが、寝入ることは意志力ではできません。それと同様に、許さないのは意志力ですが、許すことは意志力では不可能なのです。

したがって、相手を許したいのに許せないのはどうしてか?と悩んでも仕方のないことだと理解することです。そんなとき、一番大切なことは許せずにいる自分に寄り添ってあげることです。

許せない自分を責めてしまえば逆効果になるのです。怒りを握りしめてそこに執着している自分のマインドを受け止めてあげること。そうすれば、少しずつその執着のエネルギーは小さくなっていくはずです。

あるいは、寄り添う代わりに、気持ちを代弁してあげることです。たとえば、「私は絶対あなたのことを許さない!」などの言葉を繰り返し唱えるのです。げっそりするほどそれを繰り返すことで、自然と許しは訪れるでしょうね。