昨日のブログで、執着があれば自然の流れからの反作用の力を受けてしまうということを書きました。執着は自由という自然の流れに立ち向かってしまうからです。
それなら執着を取るにはどうしたらいいのだろう?という発想にすぐなってしまうかもしれませんが、そのためには自分の中にどんな執着があるかをまず見てあげる必要があるのです。
実は多くの人が、愛と執着の違いがはっきりしていないままにいるのです。つまり、執着を愛と勘違いしている状態でいるということです。私自身も若い時には、両者を混同していた記憶があります。
愛の特徴は、相手に一切の期待をしないということと、それが愛以外の何かに変わることがないという点です。一方で、執着はちょうどこの真逆だと理解すればいいのです。
執着は、気づいていようがいまいが必ず相手に対して期待を持っているのです。そして、その期待を裏切られると、愛(の形をした執着)は一気に憎悪へと変貌するのです。
自分の中にある執着をみて、ただ執着だと受け止めることができるなら、それだけで少しは執着が小さくなってしまうはずです。執着を毛嫌いすれば、反作用の力によって、執着に飲み込まれてしまうかもしれません。
許しが訪れるのと同期して、執着も自然が溶かしていってくれるまで、ただ見ていてあげることが大切なのですね。