「見ることができない」というインスピレーション

今日は何を書かされることになるんだろうと、キーボードに向かってしばらく静かにしていると、「見ることができない」というイメージのようなものが浮かんできました。

何だろうと思っていると、それは目の前にあるもの、今この瞬間に起きていることを、そのままに見ることができてないということだと気付きました。真実の世界は、時間の中にはないのです。

けれども私たちは、この世界を自分にとって都合のいいように解釈をして得られたものを現実の世界として認識しているに過ぎないということです。時間の流れを感じるとは、そういうことなのです。

だからこの世界を時間の中で展開していく物語として見ているのですが、そのことに気づくことができなくなってしまっているのですね。しかもその物語は、人の数だけあるのです。

誰もが同じ世界を見ていると思いがちですが、物語はマインドの数だけあるのです。それが分かった時、そこから抜け出せない気持ち悪さのようなものも感じます。

何だか牢獄の中にいるような、そんな閉塞感。直に世界を見ることも体験することもできずに、これが世界だと信じ込んで、各々が違う世界で生きているのですから、争いごとが起きても当然なのです。

マインドの解釈が落ちて、この世界を完全にあるがままに見ることができるようになったら、すべてが常に新鮮に感じられ、きっと退屈というものは消え失せてしまうでしょう。

そのときには、同時に時間と物語の住人である自分のエゴも消えてしまっているはずですね。