日本人なら誰でもダルマを知っていると思います。と言っても普段はまったく関わりもないので、もしかしたら今の子供たちが知っているのかどうかは分からないですね。
実はダルマのことを先ほど思い出していたのですが…、ダルマの目は最初白くなっていて、後で何かを祝うときに黒目を入れるという風習がありますが、そのことを思い出していました。
ダルマの起源は、インドで起きた仏陀の教えを中国に伝えたボーディダルマという人の名前らしいですね。日本名だと、達磨大使といいます。
彼が中国に持ち込んでくれた仏陀の教えと、老師の教えが見事にミックスして、それが日本に伝わって、最終的に禅として開花したのです。奇跡的なことが起きたのだと感じます。
話を元に戻すと…、ボーディダルマは何年もの間壁に向かって座禅を続けた結果、手足が腐ってしまったという言い伝えがあり、そのためにダルマは手足がないあの形になったということです。
で、なぜ祝い事があるときにダルマに目を入れるという儀式があるのかということですが、ここからは私の勝手な憶測になるのですが、あれはダルマが目を開けるという意味があるのだろうと。
つぶっていた目を開ける、つまり開眼したという意味です。それは勿論覚醒したということなのでしょう。そして大切なことは、人間は誰でもが(ボーディ)ダルマだということ。
目をつぶっていようと開いていようと、ボーディダルマと同じ存在なんだということ。そしていつかは誰でもが目を開けるときがくるのです。そのときには、ダルマに黒目を入れることになるのです。
osho はいつも、誰もが眠れるブッダだと言っていました。目を開けるとは、100%意識的になるということ。私たちは、自分は朝目が覚めた状態のまま活動していると思っているのです。
けれども本当はぐっすりと眠っているのですね。つまり、無意識に巻き込まれた状態のままにいるということ。だからほんの少しだけの意識的な部分だけが頼りなのです。
自分のダルマに目が入るのは一体いつなんだろうと考えつつ、それを邪魔しているのはこの私なんだよなあ…。