力の限りを尽くして闘うというように、「尽くす」という意味は、持ってるものを出し切るということですね。使い果たすとか、それが本来の意味だと思います。
けれども、「尽くす人」というとちょっとニュアンスが違って来ますね。私の感覚では、ターゲットとなる人がいて、その人に対してあれこれ世話を焼く人をイメージすることができます。
妻として夫に尽くす…、のような献身的な女性を思い浮かべることができるのですが、本人にそういった自覚があるかどうかでマインドの内容は大きく異なるのです。
例えば、「私は好きになると尽くしてしまう」といった自覚を持っている人の場合、それは献身というよりも防衛の色が濃い感じがします。
つまり、こうしてあげたい、ああもしてあげたいという気持ちは本人のエゴを満足させるものであって、本当には相手のことをおもんばかってはいないのです。
一つ間違えば、よくある身勝手な善意の押し売り、よかれと思って…の典型的なケースに陥ってしまうかもしれません。それは愛の代わりに防衛が原動力になっているのです。
真の献身とは、自分の満足についてはまったく無頓着になって、相手の思いを受け止めることです。これは愛が原動力であることは明らかですね。なぜなら、愛とは自分が不在になることだからです。
その場合には、献身的な行為だけがあって、献身的な「私」がいるわけではないということを知っていた方がいいかもしれませんね。