マインドはいつも探求者

マインドの働き、マインドの機能を見るがいい。

マインドはいつも探求者だ。つねに何かしらを欲しがっている。

それは欲望と探求を通して生きている。

金を探し求めるときもあれば、瞑想を探し求めるときもある。

だが基本的に違いはない。

それは同じゲームだ–違う言葉で演じられるが少しも変わらない。

by osho

確かに私たちのマインドというのは、年がら年中何かしらを探し求めていますね。熱望と言ってもいいし、渇望、あるいは欲望と呼んでもいいのですが、とにかくターゲットが必要なのです。

そして探求を大雑把に分類すれば、その対象となる一つ目は物質的なものであり、二つ目は精神的なもの。大抵は前者が先に来て、そこに絶望したマインドだけが後者へと進むのです。

そのときに、世俗的な欲望から脱出した自分は大きく成長したと感じるかもしれませんが、結局は探求者であることには変わりないのです。

そしてマインドが最後に探求するターゲットとなるのは、探求者そのものなのです。結局は外側に対してどれほど探求しても、絶望するばかりだと気づいた時に、探求の的となるのは探求者そのものなのです。

ここからは今までとは少し様相が違って来ます。なぜならスピリチュアルなものであれ外側に向いていた探求が内向きになるからです。

それまでの探求は探求者ありきの前提が暗黙のうちにあったのですが、今度はそこを探求するわけですから、ここは馴染み深い努力も役に立たなくなって来ます。

そしていつかは探求が終わりを迎えるときがくるのですが、それは探求者は実在しないと気づいたとき。つまり探求を止めるのではなく、それが自然消滅するということです。

後には、「無」という真理だけが残るのですね。