最上級の思考とは?

一口に思考と言っても、高度に洗練されたものから取るに足らないくだらないものまで、本当にピンキリですね。

難問を解くのも思考だし、仕事の段取りをつけたり、未来を予想するのだって思考の役割なのです。

本を読んだり、誰かと議論を交わしたり、他愛のないおしゃべりをするのだって、思考があってできること。

このように、私たちの毎日は思考がなくては全くもって成り立たないのです。このブログを書いたり読んだりするのも思考が行なっているのです。

それなのに、このブログではどうも思考を目の敵のように言っているように感じてしまうかもしれません。

けれども、気づかなくてはならないのは思考が悪者なのではなく、思考だらけになってしまって、思考を使っているということの認識もできなくなってしまうことが問題なのです。

思考ほど便利なツールは他には見当たりませんが、ただ思考と思考の間、つまり思考がないところに気づけなくなることが大問題なのです。

そして最上級の思考とは、思考が退いた時にそこに真実が広がっているということをイメージできることなのです。

思考自体が思考の限界を知ることができれば、いつかは自然と思考が真実に道を譲るときがやってくるのだろうと思うのです。あ、これも思考ですけどね…。