反面教師という言葉がありますが、子供の頃に初めてその言葉を聞いたときには何やら怖そうな感じがしたのを覚えています。
恐ろしい形相の仮面を連想したのかもしれませんが、要するに「悪いお手本」というくらいの意味ですかね。
自分が誰かにされて嫌だったことは、決して自分からはしないと決意することがあるわけですが、その元になる人物こそが反面教師になるのです。
教師というくらいですから、通常は大切なことをその人物から学ぶはずなのに、ひっくり返ってその人物とは正反対の自分になろうとするのです。
幼い頃は、当然のことながら学ぶ相手は親ですね。その親が、たとえば激怒して何度も怖い思いをさせられたとしたら、自分は決して激しい怒りを人に向けないようにしようと思っても不思議ではありません。
子供心に、この親は人としてどうなんだろうと軽蔑するなら、そんな人にはなりたくないと思うはずです。
一見そのことは理にかなっているように見えますが、実は癒しというのはそうした囚われからも解放されることが大切なのです。
時には、激しく怒りを表すことがあってもいいし、場合によっては人としてどうなの?と思われるようなことをしたとしても、反省すればいいのです。
人間として生きている自分の全てを使ってあげることのほうが、規制するよりもはるかに大切なことなのです。
自分を癒していこうと思うなら、自分の中に棲んでいる反面教師さんを解任していくことですね。ただし、それはそう簡単なことではないはずです。
なぜなら、子供の頃の決意は非常に固いからです。だからまずは、反面教師さんをしっかり観察し続けることですね。