目的地はエゴとともに消える

白雲には、実のところ、己れの道などない。
ただ漂うのみ–
到達しなくてはならぬところはなく
行く先とてない。
充たされなければならぬ天命はなく
終着するところもない。
白雲の流れを挫折させることなどできない。それが到り行くところ、それがどこであれそれが白雲の到着地となる。

by osho

比較的若いときには、それなりの希望や目標のようなものがあった気がするのですが、年齢を重ねるに従ってただ今日も生きているという感覚になってくるのです。

そうなると、目的地など最初からなかったということが分かってきます。目標がなければ、一体何のための人生なのかと思うのですが、それも若いうちだけ。

目標を作って、そこに到達できたとしてもすぐにまた別の目標が必要となるに決まっているのです。

それがエゴの生き方なのです。そして誰のエゴであれ、まったく同じなのです。エゴにとっては、目的地がない人生などは考えられないのです。

若いうちは仕方ないのかもしれません。夢や希望がたくさんあるし、自分にはそれを実現できる能力があると思っているのですから、そこに到達することこそが極みなのだと思うわけです。

そんな経験を何度となく繰り返すうちに、はたと気づくことになるのです。こんなことを一体どれくらい繰り返したら気がすむのだろうかと。

実際、そこには限りがありません。気がつくまでそれは果てしなく繰り返されることになるのです。

このことに気づいた人は幸いです。目的地など最初の最初からなかったと気づくことによって、全身の力が抜けてその時点で戦いが終わるのです。

生まれてきたことですべてが成し遂げられているということです。あとはただあるがままに、起きることをそのままに受け止めて日々が過ぎて行くだけ。

徒然なるままに、時が過ぎ行くままに、そのままに流れて行くだけですね。