自分自身を知ること

もし自分自身を知ることができれば
あなたは知られ得るすべて
あるいは知るに値するすべてを知ったことになる
が、もし自分自身を取り逃がしたならば
どんなに多くを知ることができても
そんな知識は全部ガラクタにすぎない

by osho

↑この場合の自分自身というのは、人格を持った個人としての自分、人物のことを指しているのではありません。

人物としての自分こそが本当の自分なのだと信じているなら、それこそが自分自身を取り逃がしていることになると言っているのです。

その状態で生き続けるなら、どんなに膨大な知識を身につけたとしても、そんなものは全部ガラクタに過ぎないと言っているのです。

知識とは外側から手にした情報に過ぎないので、それは記憶の中にただしまわれているもの。この社会の中では多少役立つかもしれません。

けれども、知識をどれほど積み重ねたとしても、決して真実に近づくことはできないということです。

真実は自分の外側に発見することはできないからです。人物という仮面を見破るくらいに、内側深くに見入ること。

どんな常識も使うことなく、誰かに伝えてもらうこともなく、完全なる孤独の中でただ知ることになるもの、それが真実なのです。

人生という物語の中にどっぷりと浸かったまま、人物としての自分が活躍するだけなら、それは夢の中に生きているようなもの。それはすべてがニセモノなのですね。