探索は個的なものだ、危険に満ちている
独りで、人は進まなければならない
だが、それがその美しさなのだ
深い独りぼっちの中で、ひとつの思考すら介在しない深い独りぼっちの中でのみ
神があなたにはいり込む、深い独りぼっちの中で目が開く
あなたの実存が開く
by osho
私たちは、原理的には孤独なのです。もっと正確に表現すれば、私たちのマインドは孤独でできています。
なぜなら個人であるという認識がマインドのベースだからです。だから他の誰かと寄り添って生きなければならないのです。
マインドというのは、孤独を忘れるために他のマインドと共に生きようとする傾向を持っているということです。
そのためにパートナーが必要であり、家族が必要であり、友人が必要なのです。そうして社会の中で生きようとするわけです。
そうすることで孤独を一瞬でも紛らわそうとするのです。けれども、そのせいで自分の本質を見逃すことになるのです。
深い孤独の淵で、独り静かに内側へと向かっていくとき、その孤独の向こう側があるということに気付くことになるのです。
それは孤独だということが間違った認識だったということ。個人だという間違った思い込みからくる、避けがたい恐怖を感じていただけだったと。
そしてすべてが全体性としてただ在ることを見出したとき、孤独と共にマインドそのものも消えていくことになるのですね。