「あるがまま」を感じる

今、何であれ、起こっていることが起こっているのを感じなさい。その「あるがまま」を感じてごらん。それはそうなのだ。それはただ、そうであるしかない。他にはありようがない。ならば、なぜ抵抗するのかね?

by osho

「あるがまま」を感じるとは、そこにどんな思考も挟まずに感じるということです。思考を挟まなければ、どんな判断も解釈もしないことになるのです。

それが自我と自己同化してしまった私たちにとっては、一番難しいことなのですね。相当に練習を積まなければ、できないことだと言っていいのです。

実際、「あるがまま」を感じるための練習とはどのようにすればいいかというと、私なりにはいくつかの方法があります。

勿論それは人によって様々で構わないのですが、私は次のようなことをしてみます。

たとえば、今聞こえている周囲からやってくるあらゆる物音の背景にある静寂に耳を傾けるという方法。

どこかに集中するのではなく、何を聞こうとするのでもなく、ただ音の背後に隠れている無音を聴くのです。

あるいは、目に映るどんなものにも焦点を合わせることなく、目をつぶった時のあの感覚を感じながら見るという方法。

これをやると、目の前に広がるどんなものにも惑わされることなく、ただあるものを見ていることができるようになります。

こうした方法が理にかなっているのかどうかは分かりませんが、はっきり言えることは、一つひとつの起きていることに捉われずに済むのです。

ぜひ試してみて下さい。

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