改善なんて忘れること

私たちは、幼い頃からずっと身近な家族からも、学校の先生や職場の先輩などからも、より良い自分になれと言われ続けて来たのです。

幼い無力な時期には、できない自分が出来る自分に成長するたびに喜びを感じて、もっともっとできるようになりたいと望むようになるのです。

その時に、ある程度認めてもらえればそれで満足することもできて、もっともっとという気持ちに歯止めがかかるかもしれません。

けれども、認めてもらうどころか何だかんだと否定され続けてしまうと、改善病がその後の人生の習慣となってしまうのです。

はっきりと気付く必要があるのですが、自我が自我を改善するなどということは不可能なことなのです。

それは例えて言えば、金メッキのただの棒切れを磨き上げて、金の延べ棒にしようとするのに似ています。

実のところもっと悪いことに、自我を改善しようとすればするほど自我は活力が溢れてくるのですから。

逆にあなたがただ自然でいられる時間が増えれば、自我はひとりでに小さくなっていってくれるのですね。