日本語の「心」という言葉には、英語でいうところのマインドとハートという二つの意味合いがあるように思います。
なぜ日本語には英語のような明確な二つの相異なる意味に当てはまる言葉がないのでしょうか?マインドとハートでは全く違うものなのに、不思議です。
個人的には、心という言葉の響きからすると、どうもハートの意味の方が強いような感じがしますが、どうでしょう。
それはそうとして、ハートというのは生まれながらにあるものであり、そこに自我が介在することはありません。
自我の住まいはマインドです。マインドは単なるメカニズムであって、マインドという存在があるわけではありません。
仕組み、働き、そういうニュアンスでマインドを捉えてほしいのです。だから、一つひとつのマインドが独創的であるなんてことはありません。
ただのメカニズムなのですから。人の数だけマインドの仕組みが動いているのですから、それさえ深く理解してしまえば問題は消えていくのです。
特別なマインドというものもありません。マインドにいいも悪いもありません。ただ理解すれば事足ります。
もしもあなたが覚醒して自我が消えてしまったなら、マインドの中枢である自己防衛も同時に消えて無くなるでしょうね。
残るは、マインドの機能する部分のみです。それは日常のあらゆることを司る部分。会話をしたり、運転をしたり。そこがなくなることはないので、心配無用です。