誰もが全体の一部

ある番組を観ていたら、女優さんがインタビューに答えて、時々ふとやってくる悲しみや孤独が何に由来するのか分からないけれど…、のような話しをしていました。

その人の人生の初期の頃を詳細に追っていくことができたら、生後に体験した惨めさや不安や孤独の根っこを見つけることができるかもしれません。

けれども、そこをどれほど掘り起こしたとしても、その向こうにはもっともっと残酷で悩ましい誰にも共通する事実があるのです。

それは、すべての人に例外なく気付いて欲しいと思うことなのですが、自我として生きることの必然となる不安や孤独についてです。

自我というのはすべてから分離した個人として生きているという思考がベースにあるのです。

それはたとえて言えば、根もとから引っこ抜かれた植物のようなもの。大地と繋がっていたはずなのに、宙ぶらりんになってしまった木と同じなのです。

だから大地が恋しくて恋してくて仕方がないのです。私たちに共通の宙ぶらりんな感覚、それが不安感や孤独感なのですね。

けれども幸いなことに、私たちが全体から分離したことなど一度もありません。分離したという思考(妄想)に過ぎないのです。

どう転んだところで、誰もが全体性の一部でしかないのですから。それを一瞬でも感じることができたら、すぐに静かな恍惚感がやってくるはずです。